ワルシャワ蜂起博物館は祖国ポーランドの自由のために戦った人々を記念するため、2004年のワルシャワ蜂起60周年に開館した博物館です。10月2日のオープニングには、蜂起に参加した市民、軍人はじめお年寄りから若者まで約8000人が参加しました。博物館はワルシャワ市内を走っているトラム、1908年に路面電車に供給する発電所が設置された跡地に作られています。この場所は1939年、次いでワルシャワ蜂起があった1944年にドイツ、ナチス・ドイツの破壊行為でダメージを受けています。
ワルシャワ蜂起当時の市民の暮らしについてや戦いについてを知ることができる博物館で中には写真・映像や地図、当時の生活用品や戦闘機など、様々な手法で展示されています。
1944年6月22日から開始された、ソビエト赤軍によるバグラチオン作戦の成功により、ドイツ中央軍集団は壊滅し、ナチス・ドイツは敗走を重ねました。ドイツ軍は東部占領地域に再編成・治安維持のために駐屯する部隊をかき集めて戦線の穴を埋めて防戦に努めた。
ドイツ軍に占領されたビルを銃撃する国内軍兵士
ソビエト赤軍占領地域がポーランド東部一帯にまで及ぶと、ソ連はポーランドのレジスタンスに蜂起を呼びかけました。7月30日にはソ連軍はワルシャワから10kmの地点まで進出。ワルシャワ占領も時間の問題と思われた。ポーランド国内軍はそれに呼応するような形で、8月1日、ドイツ軍兵力が希薄になったワルシャワで武装蜂起することをソ連軍と打ち合わせました。
7月31日、ドイツ軍が反撃、ソ連赤軍は甚大な損害を被る。さらにソ連赤軍は補給に行き詰まり、進軍を停止した。
国内軍にはソ連赤軍進撃停止の情報は伝えられませんでした。にもかかわらず、その直前の7月29日にはモスクワからは蜂起開始を呼びかけるラジオ放送が流れ続けており、ソ連赤軍の位置からそのワルシャワ到着は大きくは遅れないと判断された。
8月1日午後5時ちょうど、約5万人のポーランド国内軍は蜂起を開始。国内軍は橋、官庁、駅、ドイツ軍の兵舎、補給所を襲撃する。
この時刻は「W」と呼ばれ、現在でも毎年8月1日のこの時刻にワルシャワ市ではサイレンが鳴り渡り、市民がその場で動きを止め、各自で1分間の黙祷を捧げるのが恒例行事となっている。
名称 | ワルシャワ蜂起博物館 / Muzeum Powstania Warszawskiego |
住所 | ul. Grzybowska 79, 00-844 Warszawa |
電話番号 | +48 (0)22 539 7905 |
休業日 | 火曜日、12月25日、1月1日 |
入場料 | 大人 14 zł |
HP | http://www.1944.pl/en/ |
アクセス | バス:105番、109番、151番、155番、159番、178番/トラム:1番、8番、22番、24番、74番 |
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