ハイデルベルク城はかつてプファルツ選定候が居城していた城址です。ネッカー川の畔にそびえるケーニヒスシュトゥール山の斜面に立ち、ハイデルベルクの町の風景をロマンチックに彩ります。その圧倒的な存在感と美しさから、ハイデルベルクの象徴的な建造物とされています。このお城は何度となく繰り返された改築工事のために様々な建築様式が混在しています。が、アルプスの最も重要なルネッサンス様式の建造物の一つとされています。最も古い城の構築は、1214年、後に拡大されるものの16世紀半ばの雷で城は破壊されます。1650年に再び修復、拡大されましたが後の戦争や火災による被害により17世紀に完全に崩壊してしまいます。18世紀は廃城として町の人々が家を建てる資材を城から盗む等して荒れ果てていたが、19世紀にフランスのグライムベルク伯が城を保存する方向で修復に着手しました。ロマン主義の象徴としてこの風光明媚なハイデルベルクの廃城を目指して多くの芸術家たちを魅了しました。現在はドイツで最も人気のある観光スポットの一つとして賑わいます。
■場所:ドイツ連邦共和国、バーデン=ヴュルテンベルク州、ハイデルベルク市
■開城時間:毎日8:00〜18:00(最終入城時間:17:30)
■入城料:大人€6、子供・学生€4(5歳以下無料)※往復のケーブルカー代金含む
■ガイドツアー:大人€4、子供・学生ー€2(5歳以下無料)※ケーブルカー代金は含まれない
1589年から1592年にかけてヨハン・カジミールが最初に作った巨大なワインの樽です。祝杯の際に宴会場にすぐにワインを運び出せるよう王の広間に隣接して建設されました。現在見られる樽は4代目です。
1代目:ヨハン・カジミール樽 1591年
2代目:カール・ルートヴィヒ樽 1664年
3代目:カール・フィリップ樽 1728年
4代目:カール・テオドール樽 1751年
初代のヨハン・カジミール樽の容量は約127,000ℓ、現在見られる4代目のカール・テオドール樽は219,000ℓほどの容積もあります。この大樽の横には、カール・フィリップ選定候が定めた樽の見張り番「ペルケオ」の像が樽を現在も監視しています。
「樽の見張り番ペルケオ」にまつわる大変面白い話を紹介しましょう。
ペルケオは皇帝のチロル代官として赴任していた男でカール・フィリップが選帝侯が道化師として連れてきました。その際に選定候は冗談で「大樽のワインを全て飲み干す事が出来るか?」とその男に尋ねます。その返答は「Perche no?? ペルケ・ノ?」(伊語)「もちろん飲めますとも!」とうものでした。それ以降、この男はペルケオと呼ばれるようになったとか。子供の頃からペルケオの唯一の飲料物はワインで、1日なんと15本ものワインを飲んでいました。老年になり病に冒された時、医者はペルケオにお酒を禁じます。それに従い水を口にしたペルケオは翌日亡くなってしまったのだそうです。
プファルツ選帝侯ループレヒト3世にちなんで付けられた館です。ハイデルベルク城に残る建設物の中で最も古い建物に当たります。長い間ハイデルベルク城の歴史はこの建物から始まったとされていました。しかし19世紀末の改修時に考古学研究者がロマネスク様式および初期ゴシック様式の窓の断片を発見します。このことよりこの館は1300年頃建設が始められた事が判明しました。
フリードリヒ館は選帝侯フリードリヒ4世にちなんで名付けられた館です。1601-1607年の間にフリードリヒ4世が当時すでに崩れかけていた城内礼拝堂と居館の場所にこの館を建設しました。以来、代々の選定候の居住館でした。ハイデルベルク城でのフリードリヒ4世の主な成果は、このフリードリヒ館とバルコニー棟の建設と城東部の3つの塔を拡大したことです。しかしその名を有名にしているのはフリードリヒ4世は自分の豪遊のための遊興費を国費として多大に費やし、国の財政を破綻させた事です。
オットハインリヒ館は、1546年にオットー・ハインリヒによって建設され、それにちなんで名付けられました。正面のファッサードしか残っていませんが、ドイツの土地に初めて建設されたルネサンス建築でありドイツ・ルネサンスの最高傑作とたたえらる重要な建築作品です。5階建てから成るこの建物のそれぞれの階の窓と窓との間には、選帝侯の統治理念を象徴する16体像が置かれています。
アルタンからの眺めはまさに宝物です。旧市街の赤い屋根の町並み、ネッカー川、川に架かるアルテ・ブリュッケ橋、ハイリゲンベルクの緑の森、風情をたたえるうっとりする景色が目の前に一気に飛び込んできます。その類いなき美しさは人々に思わずため息を誘うでしょう。
テラスには面白い足跡のくぼみがあります。これはヴィルヘルム・ジークムント著書「アルト・ハイデルベルク」内で以下のように著述されています。
「宴の最中に城内で火事が起こった。とある騎士は全ての出口を炎で塞がれ逃げ場を失ってしまった。助けを請うも、誰にも声は届かない。助かるためには窓から飛び降りるしか方法はなかった。奇跡的に無傷で着地できた騎士、しかし頑丈ななブーツが地面に穴を開けそこに足跡を残した。人々は徐々に深まるその奇妙な溝(アルタンの足跡)を「騎士の足跡」と呼ぶようになった。」
現在は、城を訪れた観光客は自分の靴を騎士の足跡と合わせて楽しんでいます。もう一つの言い伝えとしては「選帝侯の妃の浮気相手の騎士が、突如帰ってきた選定候に見つからないように選帝侯妃の寝室から飛び降りた時に出来た足跡とも言われています。真相はいかに?!
ドイツ語で「Dick」とは太い、厚い等を意味します。その意味通りこの塔の壁はなんと5mという大変分厚くどっしりとした作りからこの名がつきました。ディッカー塔はルートヴィヒ5世にが防衛のために建てた建設物です。高さ40m、直径は28mです。ここまで堅固に築いたにもかかわらず爆撃で亀裂が入りました。
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